高殿アカリのゆるゆるブログ

映画、漫画、小説など心に刺さったものについて、ゆるゆると書いていくブログ。ときに、ちょっとしたエッセイ風味も。

推しとマンツーマンでぶつかり稽古をしたい!

お久しぶりです。

高殿アカリ(@akari_takadono)です。


今回は推しを推す為の気力やら体力やらがない!という愚痴?回です。笑


私はもともと運動音痴(ついでにただの音痴でもあります。が、方向音痴ではありません。笑)の為、全くと言っていいほど体力がありません。

そんな中、推しを推したい!その気力、精神力だけで、イベントやライブといった課外活動に勤しむ毎日でした。


つまり、気力が無くなれば必然的に体力も無くなるという身体のシステムをしておるということです。


最近、本当にその気力というものが欠如していて、ですね。

それが悔しくもあり、悲しくもあるという現状なんです。


推しを推せなくなったとか、推しを愛せなくなったというわけではなく、推しを推す為に外に広げていくという所謂、対外的オタ活全般がしんどくなってきたんですね...。

だからこそ、余計に悲しいんです。


理由はね、幾つか考えられて。

まず、推しを推しすぎたことによる飽和状態ってのがあります。

これによって、推しを推すという行為自体を冷静に考え始めてしまったんですね。


推しを推すことに意味なんてあるのか?

ただの自己満ではないのか?

そんなエゴで推してもいいのか?

それなら、よっぽどミーハーとして浅瀬でぱちゃぱちゃ推しと戯れる方が健全ではないだろうか?


そんな面倒くさいことを思い始めてしまったわけですよ。

「推しの為に」、この言葉ほどエゴエゴしている言葉はないですもんね。


「君の為に」「貴方の為に」、そういう言葉を吐く恋人ほど身勝手で信用のないパートナーはいません。(※偏見です。笑)

それと同じことです。


「推しの為に」、その向こう側に透けて見える「自分の為に」という思い。

じゃあ、本当に推しを推すことは「自分の為」なのか??

ここでまたひとつ疑問です。


自分の「何」の為なのか。

真のオタッキー様方は迷わず答えるでしょう。


「推しを推すことに意味などない」

「心の平安のため」

精神安定剤」...などなど。


こんな初歩の初歩で躓く私は、果たして本当に彼らを愛せているのだろうか?

でも、私には私だけの推しと関わり合ってきた歴史があり、思い出がある。


そんな疑問と反発が渦巻く心の奥。


そうなんです。

結局は、推しと私は一対一の関係でしかありえないのです。

だけど、実際には周りの同じ界隈の方達との愛し方、推し方の差を感じて、どうしたって優劣を付けたがる自分がいる。


そんなことしたって意味などないのに...。

私はただ、何者にも振り回されることなく、推しを推す、ただその事だけを突き詰めていきたいのに...。


恐らく、イベント参加等の課外活動としてのオタク活動に行く気力がないだけであり、一人っきりの部屋でぼーっと推したちと戯れている分にはめちゃくちゃ幸せだし、実際今の私にはそれが必要なんだと思います。


誰にも何にも振り回されることのなく。

この思いは一重に、私の意思の弱さが関係しているとは思いますが、影響を受けてしまうことが不可避なら、始めっからシャットダウンしようじゃないか!


そのような結論に至りました。

というわけで、明日のイベント一般参加は急遽取りやめ、一人で黙々とオタ活に励みます!笑


みなさんも、素敵な祝日をお過ごしください。

それぞれの好きなものを、それぞれが好き好きに楽しみながら、愛しながら、そうしてまた地球は回っていくのです!笑


(ただ、推しの愛し方はそれぞれで構わないと思いますが、その愛を表現する場所や方法などはきちんとマナーやルールに乗っ取った上で行いましょうね!)


それでは、またどこかで。