田村由美作品 ー『7SEEDS』に魅せられて
田村由美先生の『BASARA』を完読後、今度は『7SEEDS』を読み始めた。
ジャンルはSFサバイバル群像劇、といっところか。大好物だった。
海外ドラマの『ウォーキング・デッド』や『the100』などといった、サバイバル系が好きな人なら絶対にハマる。
映画で言うと『ザ・サイレンス』『2012』『オデッセイ』『デイ・アフター・トゥモロー』(要するにSF系サバイバル世界)あたりが好きな人も楽しめると思う。
少女漫画と侮るなかれ。
凄く緻密に練られた作品なのである。
Netflixにアニメ版もあるが、あらすじを見たところ、かなりダイジェスト版な印象を受けたのでここでは原作の方をお勧めしておく。
『BASARA』がシリアスな雰囲気の為に読むのに勇気がいる作品である一方で『7SEEDS』に関してはサバイバル特有の、続きが気になる!という演出によりどんどんと読み進めてしまうのが特徴的だ。
この2つの作品は舞台や作風が全く異なっているにも関わらず、物語の中で描かれているテーマは一貫している。
それこそが田村由美作品の特筆すべき要素である。
田村由美作品は常に私たち読者に問いかけているのだ。
今ここで、私たちは如何にして生きていくのか。
「生きる」というそれ自体の在り方とは何であろうか。
あちらこちらに散りばめられた「生命」への敬意と、それに対する純粋たる疑問符。
私たちは全ての登場人物を通して、彼らそれぞれの死生観や人生観を魅せられる。
と同時に、その行為は自らの死生観や人生観をも振り返る行為、あるいは再認識する行為となって心の内に積もっていく。
そして、物語軸や世界線を通して見えてくるのは(あるいは魅せられるのは)、自然としての地球、地球としての自然、宇宙の中の摂理、そんな生物学的であり考古学的な地球への愛ある眼差しだ。
それらを通して、私たちは「今を生きるここ」について、痛切な優しさを伴って実感せざるを得なくなる。
これこそが田村由美作品の真髄であろう。
『7SEEDS』にもその眼差しは受け継がれており、この地球上に在る紛れもない事実たちをよくよく調べて描かれていることが分かる。
その為、物語性を維持するために展開が飛躍している場面でも、「未来の地球」という設定そのものがしっかりと現実として存在しているので、フィクションなのに何処かリアルですらある。
登場人物たちが生き生きしているのは勿論のこと、田村由美作品に至っては地球そのものが「生きている」のだ。
それはかつて手塚治虫先生の『火の鳥』で得た感覚にもどこか等しく、五十嵐大介先生の『海獣の子供』で得た感覚にもどこか似通っているものがある。
それでいて、忘れてはならないのがジャンルである。
少女漫画として成功を収める為に必要な、10代の女の子たちを飽きさせない手法もしっかりと、それでいて違和感を覚えない程度に張り巡らされているのだ。
場面転換や舞台装置、恋愛模様などの演出は文句のつけようもなく流石である。
田村由美作品は性別問わずに読める作品であり、少女漫画を主軸としながらもそれを忘れてしまうほどに濃密で大胆な仕掛けと繊細かつ確固としたリアリティさが絶妙なバランスで成立している作品とも言えるだろう。
是非、「フラワーコミックス」のラベルに躊躇することなく、多くの方々に手を伸ばして欲しい。
その先には、広大な世界線と強烈な物語体験が待っているのだから。