高殿アカリのゆるゆるブログ

映画、漫画、小説など心に刺さったものについて、ゆるゆると書いていくブログ。ときに、ちょっとしたエッセイ風味も。

Vtuberコンテンツについての考察

Vtuberの存在はとても魅力的である。
その一番の魅力が、フィクションと現実の混合であることは言うまでもない。

しかし一方で、この混ざり具合が議論の火種になることも想像に容易くない。
なぜなら、一人一人の「フィクションと現実」に対する認識が違うからだ。

具体例として私の話をしよう。
私はフィクションに重きを置いて生活しているタイプの人間だ。

現実世界の云々よりフィクションこそが私を形作ると思っているし、フィクションがあるからこそ今を生きていられる。
だから、アニメやゲームというコンテンツが大好きな一方で、声優本人が表舞台に立つコンテンツは地雷だ。

声優という職業を貶めるつもりは一切ないが、声優本人の顔を知りたいと思わないし、仮に知ってしまった場合には途端にフィクションが現実に勝り、心が苦しくなる。

最近ではコンテンツの公式TwitterやHPから地雷を踏み抜かれることばかりなのでSNSを見る時は大体薄目で見ていることが多い。笑

つまり、私は「フィクション:現実=90:10」の割合で生きているのだ。

だからこそ、中の人や前世を詮索することがタブーとされるVtuberの世界は私に合っていたのかもしれない。

これまで、大概のコンテンツにおいてフィクションと現実は相容れないものであった。

小説や漫画、アニメなどはフィクションの圧勝であったし、舞台やドラマは現実の勝利となることが多かった。

ちなみに舞台やドラマにおける「現実」というのは、身体的あるいは物理的制限のことである。
つまり舞台俳優は汗をかくし、地球には常に重力があるということだ。
また、長期的な視点で行くと俳優だって日々歳をとっているのだ。

これらを踏まえた上でVtuberコンテンツに視点を戻そう。
そこにあるのはキャラクター、モデル、設定、ロールプレイング(所謂ガワ)のフィクションと、それに「今この瞬間」という命を吹き込む役割を与えられた中の人という現実だ。

Vtuberとは、ガワのフィクションと中の人の現実が多種多様に混ざり合った、グレーゾーンの創作様式なのである。

そしてこのグレーゾーンを渡り歩く姿こそが彼らの魅力なのだ。
フィクションが現実を凌駕するかもしれない、そう思わせてくれる貴重な存在なのである。

何よりVtuberという存在はフィクションと現実、両方の側面を持っていることから、どちらか一方の要素を強く持たせることも出来る。

がちがちにガワを固め、台本を用意すればそれは限りなくフィクション寄りのコンテンツになるだろう。
一方で、ほとんどロールプレイングをしないのならばそれは現実寄りのコンテンツだと言える。

フィクションと現実を何対何で創作するのかは、中の人とリスナーによって決定される。

中の人がフィクション寄りに創りたくても、そのコンテンツをリスナーが現実寄りに見てしまうのであれば、もしかしたら現実寄りのコンテンツになるかもしれない。

逆に中の人が現実として見て欲しくとも、リスナーがガワを強く捉え、キャラクターとして消費するのなら、それはフィクション寄りのコンテンツになるだろう。

つまり、そもそもがグレーゾーンなコンテンツであるにも関わらず、その上でグレーゾーン内を行ったり来たりしているのだ。
また、常にリスナーの属性も変動していくため、割合を固定することは困難である点も面白い。

特に最近の配信型Vtuberにはその性質が強く出ている。

流動的に変わっていくフィクションと現実の攻防戦こそ、Vtuberコンテンツそのものと言っていいかもしれない。

中の人だっていつかは老いる。
高い声が出せなくなる日もくる。
その一方で、ガワは基本的に変化できないのだ。

このどうしようもないほどの大きな溝こそが彼らの魅力であり、その溝なんてお構いなしにどこまでも刹那的に「今を楽しむ」エンタメなのだと思う。

Vtuberのコンテンツに触れている間、リスナーは今という現実を忘れて永遠を信じられるような気もするし、その一方で限りなく今が強調されているような気もするのではないだろうか。

その刹那的な快楽が、私たちを惹き付けて離さないのだ。

 

これからのVtuberコンテンツはより一層この側面が強くなるだろう。
だからこそ、中の人もリスナーもどちらにもバーチャル世界に対する認識の確立が試されている。

その認識は一人一人違っていいものだからこそ、一人一人が責任をもってスタンスを決めなくてはならない。
そうしなければ、きっと一番魅力的な「フィクションと現実の混合」そのものが中の人やリスナーを追い詰めるものに変わってしまうだろうから。

そうなったら本当にV界隈は終わると思う。
結局のところ、フィクションはどうしたって現実の苦しみの前には撤退せざるを得ないのだから。


最後に、Vtuberコンテンツの創造手法は今まであった既存のエンタメでは到底真似出来ない新しいものであることを明言しておく。

そして、これまで述べたVtuberコンテンツに対する私の認識を元にひとつの短編を書いてみた。
良かったらこちらも読んで貰えると嬉しい。

 

『ガワと僕らの終着駅』

https://kakuyomu.jp/works/1177354055178800523