高殿アカリのゆるゆるブログ

映画、漫画、小説など心に刺さったものについて、ゆるゆると書いていくブログ。ときに、ちょっとしたエッセイ風味も。

PRIDE月間🏳️‍🌈✨(頑張って「腐女子」をしていた私へ)


こんにちは。
高殿アカリ(Twitterhttps://twitter.com/akari_takadono )です。

またまたね、PRIDE月間🏳️‍🌈✨に即して、ちょっとお話したいなぁと。
PRIDE月間関係ないだろ、って入りなんだけど、そこは我慢していただいて。
嫌ならもちろんブラウザバック推奨でお願いします。


昔、自分のセクシャル(現在はアセクシャル寄りのクエスチョニング)を認識するまで頑張って「腐女子」や「百合女子」をやっていた時期がありました。

もちろん、今でもBLやGLと呼ばれるジャンルの作品は好きですが、「好き=腐女子・百合女子」ではないのだな、と実感しています。

というのも、BLだから好き、GLだから好き、というわけではなく、NLものに対して思う「好き」と全く同じ「好き」だったからです。

基本的に二次創作より一次創作のお話が好きだったのも関係していると思います。
あの作品のこのキャラクターが好き、というよりは単純にお話として面白いかどうかを重要視していました。

さらに、お話として面白ければ、それがハッピーエンドでもバッドエンドでも、どんな属性持ちでも私はあまり気になりませんでした。

二次創作物においても、パラレルワールドの世界、恋愛ノベルゲームでのルート分岐のように思っていましたので、どちらが攻めでどちらが受けでということはあまり関係ありませんでした。
もちろん、原作とも別の世界のお話だと思っています。故に、キャラ崩壊も、女体化も、大丈夫でした。

カップリングが好き、というよりは、この作者様の描く二次創作物が好き、っていう感じでしたね。

つまるところ、全くもって地雷のない人間だったのです。

かつて一度、M子ちゃんの地雷を踏んだことがあって、その地雷への拒絶があまりにもエネルギッシュだったことに衝撃を受けたことがあります。笑

私とM子ちゃんの地雷戦争にまで発展してもおかしくはなかったのですが、私自身に地雷がないことが幸いしたのか事なきを得ました。笑
M子ちゃん自身、強制しない性格なのも良かったですね。笑

 

そこで、私はいつも考えていました。
私は本当に「腐女子」なのだろうか、「百合女子」なのだろうか。
好きであることは間違いようがないくらい好きだけども、それが無くても別に生きていけるしなぁ、という気持ちもありました。

終結論として、私のセクシャルが関係しているのだと気づきました。

アセクシャル(無性愛者)寄りではあるもののクエスチョニング(敢えてセクシャルを決定しない)であるからこそ、BLやGL、NLも含めて「好き」なのだと。

「恋愛」という関係性に敬意と憧れがあるからこそ、そこにある「性別」や「キャラクター」にはあまり拘りがなかったのだと思います。

「同性」でも「異性」でも、唯一の人がいる、愛する人がいる、その関係がとても尊くまた素晴らしいものであるのだ、と信じたいのかもしれません。

異性愛を描く少女漫画がある種のファンタジーであるのと同じように、同性愛を描くBLやGLと呼ばれる物語もまたファンタジーであるという認識のもと、それでもそのファンタジーの世界で存在する登場人物たちがみんな等しく「生きている」のならば、それほど面白くて楽しくて、悲しくて苦しくて、その全てが愛おしいなぁ、と思います。

それではまた、どこかで。