黒飴とミントガム、それから祖父。
祖父はよくダンボール箱いっぱいに入ったお菓子を送ってくれました。
その祖父の妻であった私の祖母は、そのダンボール箱の中に茶封筒を入れる担当でした。
茶封筒の中には、いつも2万円と手紙が入っていました。
その手紙には、祖母の言葉という愛がたくさん書かれていました。
祖母からの愛はその文字から伝わってきました。
一方、祖父の愛の伝え方は少しばかり渋いものでした。
手当り次第に入れられた流行りのお菓子たちの隙間。
そこに申し訳なさそうに詰められていた、黒飴とミント味のガム。
これが祖父の愛のカタチでした。
キラキラ、ピカピカ光るポテトチップスやチョコレートの影に彼らはいました。
いつのダンボール箱にも。
毎回変わってゆくダンボール箱のラインナップでしたが、その2つだけはいつもそこに居たのです。
まるで私と弟を見守るみたいに。
そうです、私には弟が居ました。2人きりの姉弟です。
だから、黒飴とミント味のガムが私たち一人一人に与えられた祖父の愛だと考えてしまったのも自然な事だったのかもしれません。
ちなみに、茶封筒にそっと入れられた現金2万円は彼らの娘である母への愛だと、今も昔も思っています。
まるで海賊のようにダンボール箱の中身を喧嘩しながらも山分けするとき、私は必ず黒飴を弟にあげました。
その代わりにミント味のガムを引き受けるから、と言って。
そうです、愛とは重く、煩わしいものなのです。だから、嫌われやすくて優しいのです。
例えば、良い人止まりになってしまう当て馬のように。
祖父が死んだ時、私は死化粧をした祖父の隣でミント味のガムを噛みました。
それは、祖父の愛を噛み締めていることの自分なりの証明でした。
祖父は死ぬ前、病院のベットの上で私を見て、笑いました。ちっこいなぁ、と言って。
それから、ミルク味の飴を1つくれました。
やっぱり、お菓子が祖父の愛のカタチなのです。
そのときは、黒飴でも、ミント味のガムでも、なかったけれど。
祖父が死んだあと、祖父の蓄えていた大量の黒飴が出てきました。
大好きだったもんねぇ、と親戚たちが口にする中、私のミント味のガムはどこからも出てきませんでした。
お葬式の後、家に帰る車の中で姉弟揃って黒飴を口に含みながら、私は母に尋ねてみました。
じぃちゃんってさ、黒飴とミント味のガムが好きだったよね?
母は笑いながら答えました。
黒飴は好きだったけど、ミント味のガムは好きじゃなかったわよ。
私は驚き、再び尋ねます。
じゃあ、どうして昔、送られてきたダンボール箱の中には黒飴とミント味のガムが必ず入っていたの?
あーそれは、たぶん勘違いしていたのよ。
勘違い?
ガムならなんでも甘いと思ってたんでしょう。
真実を知るのは、いつだって遅いものです。
私にとって、祖父の愛は今でもミント味のガムなのです。
コンビニやスーパーのレジ付近で、祖父は私にいつだって優しく笑いかけてくれています。