なんとはなしに、「ファン」について語ってみた。
みなさん、こんにちは。
高殿アカリ(@akari_takadono)です。
季節はもうGWですね。
たくさんのイベントやら何やらがありますが、ここでファンというものについて少し語りたいなぁ、と思い筆を取りました。
なお、一個人の意見にしか過ぎないのであまり重く受け止めないようお願いしますね。笑
そもそも「ファン」というものは、誰かや何かを好きになることだと思っています。
つまり、アーティストのファンであると同じように、ヴェネツィアという街のファンであるということも言えるのです。
ファンとして一番大切なことは、自分がどのファンであるのか、をよく知ることだと思います。
何が好きなのか、どこが好きなのか。
それを知ることで、あるアーティストのファンなのか、それともその一曲のファンなのか、そのアルバムのファンなのか、ということが具体化されます。
そのように自分の中で確固たるファンとしての立場を明確にすることで、例えば無駄なファン歴の争いや、推しの取り合い、宗教まがいな押し売りといったものは無くなると思うのです。
そもそも、誰がファンだと決めるのでしょうか?
恐らくは、自分ですよね。
ならば、他人がファンであろうがなかろうが、どうでもいいことではありませんか。
ましてや、その長さを競うことに果たして意味はあるのでしょうか?
自分の承認欲求を満たすことの他に。
ファン同士で比べた年数や愛の大きさより、自分がファンになった経緯や自分の人生にどれだけ影響を与えてくれているか、というように、自分を基準として「ファン」であるか否かを考えると、世界は平和になるでしょう。
また、それとは別に「ファン」であり続けたいのであるならば、その「ファン」であるモノ、コト、ヒトと一定の距離を置くことをお勧めします。
夢中になり、熱中し、自分の一部だと思ってしまう「ファン」は、寿命が短いですからね。
また、そういう「ファン」に限って、つまり、熱烈なストーキングをしたり、迷惑になるほどの出待ちをしたりなど、周りが見えていないタイプの「ファン」ほど、一生涯かけての「ファン」にはならないでしょう。
もちろん、憶測には過ぎないのですが。笑
「ファン」であり続けると決めているのなら、そんなに焦る必要はないですから。
また、自分とは違う世界で生きていると理解しているからこそ、「ファン」であり続けられるというものです。
同じ世界に生きたいと望んだ末、行動に移してしまったら、それはもう一時の「ファン」でしかありません。
(いや、それはもう「ファン」ですらないかもしれない。笑)
しっかりと自分を持って、それから愛しましょう。
それこそが「ファン」という存在です。
ちなみに、ですが。
これは恋愛にも同じことが言えると思います。
つまり、自分というものをきちんと持っている人ほど、相手を尊重し、相手からも尊重され、素敵な恋愛が出来るのです。
「ファン」とは、素敵な恋愛をするということです。
自らのエゴのみで成り立つような、片思いではなく。
それではまた、どこかで。