「人間」として生きている
みなさん、こんにちは!
高殿アカリ(Twitter → https://twitter.com/akari_takadono )です。
今回は『ここは、おしまいの地』で講談社エッセイ賞を受賞されたこだま様のデビュー作『夫のちんぽが入らない』のレビューブログです。
*******************
少し前に話題になっていた『夫のちんぽが入らない』を読破。
なかなかヘビーな内容だった。
様々な角度から描き出される「普通」という概念から解き放たれていくまでの1人の女性の人生が綴られている。
文体が読みやすいのはもちろんのこと、講談社文庫の活字の大きさ、行間の幅、余白部分などがより一層この私小説を読みやすくさせているのだろう。
とにかく、読みやすかった。
作者に夫のちんぽは入らないのに、読者に作者の言葉は入ってくる。なんて皮肉。
この作者さんは真っ当に「人間」をしている人なのだなぁ。
もし私がこの私小説の当事者だったら、自分可愛さあまりに全てを投げ出して、全てを捨てて、誰とも関わらない生き方を選ぶだろう。
何故なら、おひとり様で生きることが「幸せ」であると、20代にしてなんの歪みもなく素直に屈託なく、そう思っているのだから。
そんな私からしてみれば、「普通」にこだわること、人と向き合うこと、人を愛すること、自分を許さないこと、その作者の選んだ行動がどれもが眩しく見えた。
「普通」にこだわるのは面倒くさい。
誰かと向き合ったり愛し合ったりするのも辟易する。
自分を許さないなんてとんでもない!
そもそも自分の行動に不正解なんてない。
「不正解」と評価されることはあっても。
と、私はこんな風に毎日を自由気ままにのんびり暮らしている。
他者からぎりぎりの及第点を貰う暮らしぶりというところだろうか。
しかし、それはただの「私」を生きているだけであり、「人間」を生きているわけではないのだよなぁ、と最近よく考えたりもする。
「人間」らしくある為には、この私小説のように他人を真っ当に愛することが必要なのだろうなぁ。
出来る気もしないし、やる気もまたないけれど。
「人間」として生きること、その全てへの葛藤が込められた作品なのかもしれない。
それでは、またどこかで。