「ダルちゃん」は私であなた。
みなさん、こんにちは。
高殿アカリ(Twitter : @akari _takadono)です。
今年も始まってしまいましたね、2019年。
嬉しいような寂しいような、年始はいつもそんな気分にさせてきます。
今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
というわけで、年始早々とても素敵な作品に出会えたので、紹介がてら感想を述べていきたいと思います。
2019年、幸先が良いですね(^ ^)
今回、私に深く深く突き刺さった作品は、資生堂の季刊誌「花椿」(公式サイト : http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp )のwebページにて公開されている漫画『ダルちゃん』(『ダルちゃん』の掲載ページ : http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp/comic2/ 公式Twitter : @dullchancomics)です。
はるな檸檬さん(公式Twitter : @haruna_lemon )が描かれたこの作品は2018/12/06に小学館より刊行されました(全2巻)。
この作品は、丸山成美こと「ダルちゃん」が「普通」のOLとして擬態して生きている日々を描いています。
「普通」の擬態が剥がれた時、ダルちゃんは一冊の詩集と出会います。
それがダルちゃんを詩書きの道へと、ひいては本当の自分へと導いていきます。
「普通」ってなに?
「恋情」ってなに?
「友情」ってなに?
「創作」ってなに?
そんな疑問と擬態と疑心とをぐるぐるミキサーにかけて、美味しくはないけど、ほろ苦くて思わず泣いてしまうような、幸福のスムージー。
「愛する」ってどういうこと?
「わたし」ってどういうこと?
それはきっと『ダルちゃん』の中に...。
そんな作品です。
以下、感想となります。
ちょっぴりネタバレになってしまうかもしれないので、ご注意を。
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『ダルちゃん』という作品を読んだ。
愛おしくて切ない、痛くて哀しくて虚しくて、そしてやっぱり愛おしい。
そんな感情が私の中を駆け巡った。
850円×2冊、合わせて1700円也。
それだけの、いいやそれ以上の価値がある作品だった。
私は詩を書いてもう10年になるが、それだけ長く詩を書いていると、上手い下手はともかく、どうしても「書く」ということそのものがただの手段になり、詩を書きたいと思った一番初めの気持ち、原初の記憶を忘れがちだ。
なまじ、単語としての「言葉」の文字列を知識として知っている分、自分の生身そのものを置いてけぼりにしてしまうのだ。
その結果、体験のない「言葉」だけが虚しく白紙の宇宙を彷徨う。
この『ダルちゃん』という作品は、そんな私を戒めるみたいに、慰めてくれた。
技法や言葉に囚われてしまいがちな詩人にこそ、是非とも読んでいただきたい作品の一つかもしれない。
作品の中で裸になること、本当に真摯にそれを行うには、自分の中に眠る覚悟と勇気と孤独と闘わねばならないのだ。
その自らとの戦いをもう一度見つめ直す良い機会となった。
そして、このような感覚を見失いそうになる度に、これから私は何度も何度もこの作品へと還っていくのだろう。
そんな予感がしている。
ダルちゃんが詩を書くことをやめた時、私にはその未来が見えた。
かつては私もそうなったときがあったから。
だから、その先のページを私はいつまでも捲ることが出来なかった。
吐き出せないことが何よりも辛くて、何よりも苦しくて、まるで何者にもなれなかった死人のように。
たかが言葉だ、たかが詩だ。
それでも、それが「わたし」のすべてなのだ。
何者にもなれない「わたし」を救ってくれたのはたかが言葉だ、たかが詩だ、そこに潜む感情で、それはつまり私そのものだった。
言葉と共に歩む未来がどれほど熾烈な環境だったとしても、私は筆を握るだろう。
まっさらな白紙の上に黒の線を走らせるだろう。
それが誰かの王国で罪人となる行為だったとしても、私は私をやめることは出来ないのだから。
......と、これ程までに同化し、同調し、ベタ惚れしている『ダルちゃん』という作品であるのだが、2つほど納得いかない点もあったりする。
一つは、主人公のダルちゃんが大した詩の勉強をすることもなく、多くの詩を読むこともなく、ほとんど感性だけで素敵な詩を書いていることである。
このことは、『ダルちゃん』が話題となっている今、詩や言葉に対する誤解を生みかねないし、何より私はその才能が嫉ましい。笑
二つ目は、ダルちゃんの書いた詩に対して驚くほど直ぐに結果が伴っている点である。
もちろん、結果が出る出ないという観点から作品が描かれていないからこそのストーリー展開なのだろう、ということは想像がつく。
しかし、これもまた詩壇というものに対する誤解を生みかねないし、私は何よりその才能が嫉ましい。笑
(※個人的備忘録 : 私の中には「詩壇」そのものの存在がファンタジーだという認識もある)
要するに、ダルちゃんには才能があるのだった。
そのことが物語を動かす要因にもなっているし、私の劣等感や嫉妬心、競争心までもを駆り立ててくるのだ。
ダルちゃんには負けてられない!そんな風に思う私がいた。
ダルちゃんはきっとこれから、私の良きライバルとなってくれるだろう。
そして最後に、ダルちゃんが取り憑かれたものが詩や言葉であったことに私は感謝したい。
作者がダルちゃんに詩を書かせたのには何か理由があったのかもしれないし 、なかったのかもしれない。
作者が詩を書いているのかもしれないし、作者にお気に入りの詩集があるからかもしれないし、ただの思いつきか、夢の中でお告げがあったのかもしれない 。
まぁ、きっかけは何でもいい。
とにかく、ダルちゃんが詩を書いた、それが漫画になった、そしてその漫画を多くに人が読んでいるということ。
詩人でも詩書きでもない多くの読者が、間接的であれ「詩」に触れているということ。
そんな現象を『ダルちゃん』は引き起こしてくれている。
この場を以て、改めて感謝の意を示したいと思います。
作者のはるな檸檬様、並びに資生堂様、本当にありがとうございます。
それではまた、どこかの彼方で。