高殿アカリのゆるゆるブログ

映画、漫画、小説など心に刺さったものについて、ゆるゆると書いていくブログ。ときに、ちょっとしたエッセイ風味も。

ゲーム実況初心者が“ゲーム実況”について語ってみた。

冬は調子の良い日が多い。
それは何も、私が冬の季節を好きだということだけが理由ではないだろう。

高殿アカリ(@akari_takadono)とは別にさのさのこ(@Sanoko_Sano)という名前で、ゲーム実況と呼ばれるものをYouTubeを中心に投稿し始めてから、2ヶ月ほどが過ぎた。
そのことが大いに関係していると思う、きっと。たぶん。

ゲーム実況というものは、ゲームをプレイしながらそれを実況(お喋り)することを言い、大概の場合において、その様子は動画としてYouTubeやTwitch、ニコニコ動画などの動画投稿サイトにて公開される。

ゲーム実況には大きくわけて2つのやり方がある。録画と生放送(配信)である。
録画というのは、ゲーム画面とゲーム音、(声入りで実況する場合は)自分の声などを録画し、編集し、投稿するものである。
一方、生放送(配信)というのは、配信者がリアルタイムでゲーム実況をしながら動画投稿サイトにもその様子をあげるというものである。

実況の仕方も3つほどあり、自分の生の声で実況する方法、機械の声で実況させる方法、字幕で実況する方法が主にある。
その他、実況なしのプレイ動画というものも存在している。


いくつかスタイルのあるゲーム実況の中で、私は普段、生放送(声あり)のゲーム実況を中心に行っている。
ほんのたまに、録画したゲーム実況動画をアップロードすることもある。

そんな動画や生放送を2ヶ月ほど、ほとんど毎日のように行ってきて、いくつか感じたこと、考えたことがある。
それをこれから書いていきたいと思う。

動画を投稿し始めてから、特に生放送を配信してから、度胸と自信がついたと思う。

私はゲームが下手であるのだが、やはり下手は下手でも下手なりに「生放送で下手すぎるプレイは駄目だろう」とか、「変なこと喋っちゃったらどうしよう」とか、そんなプレッシャーを自分にかけてしまうのである。

もちろん、それでゲームが上手くなったり、ゲーム実況が楽しくなったりするのなら問題はないと思う。
ただ、私はそういう人間ではなかった。

プレッシャーはストレスの元になるし、下手するとゲーム実況を嫌いになる可能性があった(下手だけに)。
だから、余計なプレッシャーはなるべく削ぎたかった。

という訳で、生放送において私は考えることを放棄した。
ただゲームを、ゲーム実況というものを、楽しむ。それだけに集中してみた。

そもそも、“面白いゲーム実況”をしたいからという理由でゲーム実況を行なっているわけではない。
“ゲーム実況”をしたいから、ゲーム実況をしているのである。
それが面白くあろうが、面白くなかろうが、どちらでも構わない。
その判断は視聴者一人一人がするものである。

......少し話が逸れてきた。

兎にも角にも、そういう一種の開き直りを持って、生放送に挑んだ。
すると、自分でも驚くくらいの度胸や自信がついてきた。
そのことを現在、プライベートでも実感している。
(※ゲーム実況も仕事ではないのでプライベートなんだけども。笑)

だから、調子の良い日が多い。
悩む必要のないことには無駄にくよくよしなくなったし、もともとのポテンシャルとして自信というものが標準装備である人に対しても無駄に卑屈になったりしなくなった。

無駄がはぶかれてきたのだ。
そしてこの、無駄のない身体のなんと軽いことか。


また、ゲーム実況は視聴者の生の声を聞くこともできる。

私は元々、詩や小説を書いているのだが、
詩や小説において感想を貰えることは滅多になく、お気に入りの数、しおりの数、読者数、アクセス解析、順位など、読者の声を判断するためには基本的に数字を気にしなくてはならなかった。

小説では、Web小説において読者から感想を貰えることがたまにあるので、ただ私の小説が感想を送るほどではないと判断されているだけだ、と慰めることもできる。

しかし、詩は残酷だった。
毎月毎月、各詩雑誌に自分の作品を送っては、自分の作品が掲載されることを祈り、毎月毎月、必死に発売された各詩雑誌の読者投稿ページを眺めるのである。
掲載されていれば、選者の意見や批評が書かれているが、掲載されていなければそれまでだった。

(それでも約10年もの間、詩を書くことを辞めなかったのは詩を書かねば生きていけぬという理由があったからなのだが、それはまた別の話である...)

そんな殺伐とした世界で生きてきた私にとって、自分のゲームに対する反応にコメントがもらえることや、リアルタイムで私の配信を見てくれている人たちがいることは、私の承認欲求をほんの少しだけ満たした。
生の声が聞こえることが、こんなにも心地の良いことだったのか、こんなにも活力になることだったのか、と初めて思った。

それでも私の承認欲求は完全に満たされていない。

それも至極当然のことであろう。

ゲーム実況というのは、ゲームそのものがあって初めて成立するものであるのだから。

私の実況など取るに足りないものなのだ。
その感謝と喜びと、そして多大なる敬意を忘れずに、これからもプレイしていきたい。

それではまた、次の動画で。